大判例

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新潟地方裁判所三条支部 昭和48年(ワ)24号 判決

昭和四八年(ワ)第二四号・

原告 草野イセ

昭和四九年(ワ)第四〇号事件

昭和四八年(ワ)第二四号

被告 越後交通株式会社

昭和四九年(ワ)第四〇号事件

被告 酒井忠男

主文

一  原告に対し、被告越後交通株式会社(第二四号被告)は、金四九万五、〇〇〇円および内金四四万五、〇〇〇円に対し、昭和四四年一一月一七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、被告酒井忠男(第四〇号被告)は、金一一五万六、六三四円および内金一〇五万六、六三四円に対し、昭和四六年二月一八日から、内金一〇万円に対し、昭和四九年六月三〇日からいずれも支払ずみに至るまで年五分の割合による各金員を支払え。

二  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告と被告越後交通株式会社との間に生じた分はこれを一〇分し、その一は右被告会社の、その余は原告の負担とし、原告と被告酒井忠男との間に生じた分はこれを四分し、その一は右被告酒井の、その余は原告の各負担とする。

四  この判決の主文第一項は、かりに執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

(一)  第二四号事件について

1 被告越後交通株式会社(以下単に第二四号被告ともいう。)は原告に対し、金四六一万二、五〇〇円および内金四三一万二、五〇〇円に対する昭和四四年一一月一七日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は第二四号被告の負担とする。

(二)  第四〇号事件について

1 被告酒井忠男(以下単に第四〇号被告ともいう。)は原告に対し、金五二七万〇、四三六円および内金四九七万〇、四七六円に対する昭和四六年二月一八日から、内金三〇万円に対する本訴状送達の翌日から完済まで、それぞれ年五分の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は第四〇号被告の負担とする。

二  被告ら

(一)  原告の請求をいずれも棄却する。

(二)  訴訟費用は原告の負担とする。

第二原告の請求原因

一  第二四号事件について

(一)  本件交通事故(以下第一事故という。)の発生

1 昭和四四年一一月一六日午後八時五五分頃三条市北中八三路上において、新町方向から下田方向にむけてきた大崎局前行の被告会社バスが東三条駅前通りバス停に停車して原告が乗車した。ところが同バスの運転手唐沢光善は原告が同バス内で安全な状態になるのを確認しないまま、しかもなめらかに発進せずガクンと急発進したため、乗車したばかりの原告は転倒し、後頭部を同バス床部に強打した。

2 原告は当時、下駄をはき両手に紙袋と布袋をもつてバスの中央付近にある入口から乗車したが、入口の正面の座席に三人位の乗客がいたのでその乗客の運転席側に腰かけるため向きを運転席側に、変えて進もうとしたところ、突然後方へ、あお向けに転倒して後頭部を強打した。

(二)  第二四号被告の責任

1 被告会社は、右バスのいわゆる運行供用者であるから、自動車損害賠償保障法第三条により原告に対し損害賠償責任がある。

2 なお、被告会社は右責任を争つているので、右バスの運転者唐沢光善、車掌小林のり子の責任について言及する。自動車運送事業者(被告会社)の従業員はその職務に従事する場合輸送の安全を図る義務あり(自動車運送事業等運輸規則第二条四項)、車掌は発車の合図をする場合は乗客の安全を確認しなければならない(同規則第三五条四号)。

ところでこれを第一事故についてみると、両手に荷物をもち、下駄をはいた年齢六二歳の原告が、未だ座席に腰をおろす前に発車の合図がなされていること、また唐沢運転手は原告が両手に荷物を持つて車内中央の通路付近に立つている状態であるのを知りながら発進させていること、さらにバスの停止した位置は道が凹凸又は段差になつていたから、発車するときはなめらかな発進はできず急発進の状態になつたこと、したがつて、このような状態においてバスを発車させれば、原告が転倒して後頭部を打撲するおそれがあることを運転手および車掌は予見しなければならないのにその義務を怠りバスを発進させたために、原告は身体の平衡を失つて後方へ転倒し後頭部を打撲したものである。よつて、被告会社の責任は明白である。

3 また、原告が転倒した位置および状態についていえば、ちようど入口の階段を上りきつた通路中央付近で、未だ腰かける態勢にはない移動中のときに、ほぼ真後に転倒したものであり、しかも後頭部を直接強打したものである。

(三)  治療経過と負傷の程度

1 治療経過

(1) 高橋医院、昭和四四年一一月一六日脳震盪症で約一〇日間の安静加療を要するとの診断であつたが、事故の翌日の一一月一七日頭痛がひどくなり、高橋医院から入院をすすめられたが、原告は自分が休んでいてはホテル営業を休業せざるをえないので、仕事の都合上入院しなかつた。しかし、新潟大学病院でも入院をすすめられた。

(2) 三条済生会病院、同年一一月二七日から同年一二月八日まで、および同年一二月一五日から同年一二月二七日まで、合計二五日間入院、同年一一月二四日から昭和四五年一二月三一日まで、通院一〇三日間(昭和四四年一一月、一日間、昭和四五年一月、一〇日間、同年二月、一一日間、同年三月、一〇日間、同年四月、一二日間、同年五月、一〇日間、同年六月、一二日間、同年七月、八日間、同年八月、七日間、同年九月、五日間、同年一〇月、五日間、同年一一月、七日間、同年一二月、五日間)。

原告は、昭和四四年一一月に、三条済生会病院に入院したが、一三日目に一旦退院し、その一週間後に再入院をした。

2 原告の負傷の程度

原告は受傷後直ちに高橋医院に運ばれ脳震盪症の病名のもとに注射二本をうけるなどの治療をうけ、翌一七日以降も通院治療をうけたり自宅で療養していたが、医師の指示により同年一一月二七日済生会三条病院に入院した。(そして絶対安静のもとに同年一二月三一日迄附添看護を要す)

退院後も、頭痛、耳なり、頸痛がひどく同病院に通院治療を続け、昭和四五年一二月三一日に症状固定として一応の区切りをつけた(この間通算一〇三回の通院治療をうけている)。

しかし、その後も頭部打撲傷後遺症、頸筋緊張性後頭部頂部症候群のため頭痛、耳なり等で苦しみ現在に及んでいる。

(四)  損害

1 休業損害および後遺症による逸失利益

金二七九万六、九〇〇円

(1)イ 原告は、昭和三七年に、三条市において、ホテル三越の商号でホテル業をはじめ、同三九年に株式会社とし、原告が代表取締役となり、従業員一四~五人雇つていた。ホテル三越は客室二〇をもつ国際観光旅館として、県内でも一、二の設備を誇る旅館として、燕の洋食器の取引客や、芸能人等の利用する高級なホテルであつた。

その営業は順調で、昭和四二年の決算報告書からも明らかなように、利益が一九四万七、五〇〇円計上されている。しかし、他方前記繰越欠損金二七三万二、六八〇円があり、結局当期欠損金七五万八、一八〇円となる。しかしながら、右欠損金は、ホテル三越建築の際、中小企業金融公庫から合計二、八〇〇万円借入れた分の返済が残つているためであつて、現に昭和四一年の欠損二七三万二、六八〇円を、昭和四二年において、七五万八、一八〇円に減少させたことに意味がある。すなわち、昭和三七年に営業開始して以来、かなりの業績をあげてきたからこそ、欠損金を減少させてきたとみることができるのである。

このまま昭和四三年も正常な状態で営業を続けたならば欠損金を解消することはできたであろう。

ロ ところが、昭和四三年は従業員のストライキが二回も行われ、従業員を解雇したため、その後はパートタイマーなどを採用して、原告は、接待から、板前、会計等の業務をきり回しながら、業務を続けてきたものである。

本件第一事故はこういう時期に発生したものである。

ハ そして、原告は役員報酬として月一〇万円、年間一二〇万円の支払をうけていたものである。

ニ これに対し、被告は、ホテル三越は赤字会社であるから、原告主張の収入はないと主張するようである。しかし、右主張は二重の誤りである。赤字会社であるというのは、株主に配当する利益がないということにしかすぎない。そして会社が赤字であるということは役員報酬が零であることを意味しないのは明白である。かかる主張は、赤字会社において従業員の給料は零であるというに等しいものである。代表取締役としての業務のみならず、従業員同様の業務を担当し、役員報酬で生活しているものに報酬(=給与)が与えられるのは当然である。

なお、原告が高利貸から金融をうけるようになつたのは、第一事故があつた後のことである。

なお、百歩譲つて原告が右相当の収入が認められないとしても、原告のような業務についていた者の収入を推定するには、賃金センサンス第一巻第一表全産業全女子労働者平均給額の旧中、新高卒以上の者のうける給与以上の収入があつたものと考えなければ不合理である(別紙(一)参照。)。

ホ 第二事故当時の原告の収入は頭部外傷後遺症等のために、三五%相当の労働能力を喪失していたと考えるのが相当のところ、原告は第二事故受傷により前記のとおり入院治療し、六級の後遺症に認定され、就労はまつたく困難な状態となつた。

(2)イ 原告は本件事故のため事実上事業を休業のやむなきに至つた。事故当時原告は六二歳であつたが、少くとも事故なかりせばつぎのとおりの損害が発生しなかつた。

月間収入一〇万円とした場合 金二七九万六、九〇〇円

〈1〉 昭44.11.17~昭45.9.21(全損)

10万円×10か月=100万円

〈2〉 昭45.9.22~(自賠責施行令別表9級相当であるから、労働能力喪失率35%、後遺症継続期間を6年とする)

10万円×12×5.134×0.35=1,796,900円(新ホフマン係数5.134)

ロ なお、原告は、昭和四五年九月二二日営業を再開した。この頃まだ頭痛は依然として続いていたのであるが、融資先の協栄信用組合は、このまま休業しているのであれば貸付金の返済は不可能であるからホテルを競売するというので、やむをえず無理を押して営業再開にふみきつたものである。

原告の頭痛は、第二事故まで後遺症として残つていたのであり、原告は止むにやまれぬ状態であつたため、身体を大切にすることよりも営業を優先させなければならなかつたという特殊な事情を忘れてはならない。

2 看護料

付添看護を要した前記の期間二五日につき、一日一、五〇〇円として金三万七、五〇〇円

3 入院諸経費

一日三〇〇円として入院日数二五日分 金七、五〇〇円

4 通院交通費

一〇三回分 タクシー代金二万〇、六〇〇円

5 慰謝料

(1) 事故直後及び入院分 昭和四四・一一・一六 同年一二・三一迄 金一五万円

(2) 通院分

イ 昭和四五年一月一日より同年七月末日迄

一ケ月金五万円として合計金三五万円

ロ 同年八月一日以降同年一二月三一日迄

一ケ月金三万円として合計金一五万円

ハ 後遺症分 金一〇〇万円

6 弁護士費用

以上総合計金四五一万二、五〇〇円のうち、被告から金二〇万円支払があつたので残額金四三一万二、五〇〇円の請求権を有するが、原告は本訴提起日に原告代理人に対し、一審判決言渡時までに三〇万円支払う旨約束し、着手金及び交通費として金七万円を支払つた。

よつて、同三〇万円を附加した合計金四六一万二、五〇〇円とうち金三〇万円を差引いた金額について遅延損害金の支払を求める。

二  第四〇号事件について

(一)  本件事故の発生(以下第二事故という。)

昭和四六年二月一七日午前一〇時三〇分ころ、三条市裏館電報電話局前において、第四〇号被告は自己の運転する軽貨物自動車(六新ひ七七二三)を原告に衝突させて転倒させ、頭部腰部打撲傷の傷害を負わせた。

(二)  第四〇号被告の責任

1 被告は、前記自動車の所有者であるから自賠法第三条の保有者責任がある。

2 かりに被告に右責任がないとすれば、被告は後方を十分確認しないで自動車を後進させた過失があり、民法第七〇九条の責任がある。

(三)1  傷病名、腰部打撲傷、頭部外傷後遺症頸筋緊張性後頭部頂部症候群、第九、第一二、胸椎・第一ないし第五腰椎圧迫骨折

2(1)  治療経過

イ 済生会三条病院 昭和四六年二月一八日から同年七月一五日まで通院(実日数二六日)(同年二月、八日間、同年三月、七日間、同年四月、不明、同年五月、不明、同年六月、三日間、同年七月、三日間)

同年三月一〇日から四月八日まで入院(四一日間)

原告は第二事故により受傷し、直ちに三条市の三之町病院で応急措置をうけ、翌日から済生会三条病院で通院治療した。しかし、原告の症状それ自体は頭痛がひどく耳鳴りがとまらないという重症であつたが、当時原告の夫が交通事故により新潟中央病院に入院中であり、原告もまた入院すると他に夫の世話をする者がいなくなること、営業再開したばかりのホテルの営業を続けなければならないことから、新潟中央病院では直ちに入院治療するようすすめられたにもかかわらず我慢をして、済生会三条病院で通院治療をしていたが、同年三月一〇日頃にはついに我慢できなくて、同院に入院したものである。

入院時の原告の症状は、頭部激痛および腰部左季助部打撲痛、耳鳴りがあり、歩行困難に至る程度であつて絶対安静を要する状態であつたから直ちに入院しなければならないというものであつた。したがつて、はじめの二三日間は付添が必要であつた。

同年四月二〇日の運転時には、症状に特に変化はなく静かに寝ている限り軽快していたという状態であつたが、原告が第一事故当時ホテルの維持費等のため、高利貸から借用した金員について強制執行が行われ、執行官が病室まで来るという事態になり、あまりの世間体の悪さからいたたまれず退院したものである。

同年五月七日付カルテによれば、自動車に乗つて揺られると、頂部後頭部痛があつた旨記載されている。この頃も安静にして寝ていれば症状は出ないが、家事をしたり、自動車に乗つて揺られると、右症状が出てくることを示している。

ロ ところが、原告は、済生会三条病院における治療を、同年七月一五日で打切つているが、治癒したというのではなく、被告酒井が、自賠責から保険金をとるため原告が便宜協力したにすぎない。したがつて原告は、被告酒井が、以後他の病院で治療をうけて欲しいというので、新潟市の加藤医院で鍼や灸をしたり、ガンセンター新潟病院、三条市の銅冶医院で、注射投薬、X線撮影、首の牽引などをした。

ハ 済生会三条病院整形外科

原告は前記脊腰部打撲傷、頭部外傷後遺症、頸筋緊張性後頭部頂部症候群の治療のほか、骨粗鬆症および腰椎圧迫骨折等の治療をうけた。昭和四六年一二月九日には、第三ないし第五腰椎圧迫骨折で後遺症の診断をうけている。当時の原告の症状は、強い腰痛のため日常生活にも支障があり仕事をすることは不能というものであり、昭和四七年一月のカルテにも、同旨の記載が認められる。また、昭和四七年一一月一七日付診断書によれば、脊柱の前後屈は強度の疼痛のため全く不能、歩行能力も松葉杖でやつと可能、座ることも立つていることも長くはできないという状態であつたことが認められる。昭和四八年七月二四日付診断書によれば、歩行は介助されるとどうにかできるが、自力では立ち上がれないというものである。

ニ 銅冶医院、昭和四七年八月二四日付診断書によれば、第一二腰椎ないし第三腰椎圧迫骨折および頸部脊椎症が認められる。

ホ ガンセンター新潟病院、第九胸椎、第一ないし第五腰椎圧迫骨折、骨粗鬆症が認められる。このときから原告は、医師の指示で、胸の圧迫をやわらげるため、松葉杖を使用するようになつた。当時の原告は痛みが激しく、座ることも歩くこともできないという重症であつた。この強い腰痛は、昭和四九年一〇月においてもまだ継続していた。

(2) 原告の健康状態

第二事故前の原告の健康状態は、第一事故による頭部外傷後遺症により頭痛等が軽快増悪をくり返す状態であつた。また、骨粗鬆症および第四腰椎圧迫骨折があり、コルセツトを着用していたが、ホテルの営業をまがりなりにも再開できる程度には回復しており、上半身の前、後屈が腰痛のために困難という状態ではなく、骨粗鬆症による障害は認められなかつたから、前記原告の症状が本件第二事故によつて生じたことは否定することにはならない。

(3) 後遺症状

前記のとおり、原告は、第二事故による外傷に起因して、長期にわたる治療にもかかわらず、強度の頭痛腰痛脊柱の前、後屈の不能、歩行能力の制限、起立位、座位の制限などの症状が後遺症として残り、ホテルの女将としての仕事は勿論、他の労働に服することは、ほとんど不可能な状態にあつたことが認められる。

なお、被告の酒井は、原告の右症状は、原告が老人であるがため、骨がもろくなつていて、そのために起きた圧迫骨折であるから本件第二事故とは因果関係がないと主張するかも知れない。

しかし、右主張は原告の右症状が第二事故に起因するものであることを何ら否定するものではない。ところで、骨粗鬆症は骨多孔症ともいい、骨の形態には変化をきたすことなく、骨組織の石灰減少を起す状態で、骨微密質はうすくなり、骨髄腔は広くなる。また骨微密質はうすくなるのみでなく、骨細管が広くなる。X線写真では、骨影は薄くなる(骨萎縮症)。骨が脆弱になるため骨の屈曲彎曲をおこす。飢餓性、食事性、廃用性、老人性、外傷性、神経性、神経痛性、炎症性、その他多くの原因が考えられるとされている(南山堂出版医学大辞典五一二頁)。いずれにしても骨粗鬆症だけでは腰痛はなく、ただ、座骨神経痛などがあれば、腰痛も生じてくるというにすぎない。そして、同年一二月一七日付カルテによれば、第四腰椎圧迫骨折がある旨記載されているが、とくに腰痛の記載は認められていない。

ところが、昭和四六年二月、第二事故で腰部を直撃されたことによつて腰痛が発生したものである。第二事故当時、原告は骨粗鬆症のためコルセツトを着用していたのであるが、これは骨が脆弱になつているので脊骨をささえるためにしていたものであつて、腰痛とは無関係である。また少くとも原告は、第一事故前においては老齢にもかかわらず、健康体で、一人何役もはたしていたことは前記のとおりであり、圧迫骨折すら認められていなかつたものであることを考えあわせると、第二事故前の骨粗鬆症および第四腰椎圧迫骨折は、第一事故による転倒によつて生じた可能性が強く、老人性というよりは外傷性のものであるといえよう。

そして、本件第二事故による外力が加わることがなければ、すなわち、軽度の打撲傷を負うとかいつた日常的な些細なできごとがきつかけとなつて、前記のような高度の後遺症状を呈することはないのである。

かりに百歩譲つて骨粗鬆症および圧迫骨折が老人性に起因していたとしても、本件において、これを理由に損害額を減額することは誤りである。なぜなら、本件の如く、右のような被害者のもつ潜在的負因が症状の発生、増悪に原因力を与えるに至つたこと自体に、加害者の責任領域に属する交通事故が原因力を与えている場合にまで減額することはかえつて公平の原則にもとるものである。

四  損害

1  積極損害

(1) 治療費 金二四万一、二一七円

(2) 入院諸雑費(四一日×三〇〇円)金一万二、三〇〇円

(3) 通院費 七八回分 金六万八、三九〇円

(4) 看護料 二二日分 金三万三、四〇〇円

(横田マツ昭和四六年三月一二日から三月二三日まで、金一万四、四〇〇円および近藤トウ同月二四日から同年四月二日まで金一万九、〇〇〇円)

2  休業損害および逸失利益

(1) 原告は事故当時、三条市大字中新一七二番地において、株式会社ホテル三越の商号で旅館業を営み、年間一二〇万円の役員報酬の支給をうけていたものである。

原告は昭和四四年一一月一六日、三条市内を走行中の越後交通株式会社のバス車内で、運転手の不注意により転倒し負傷したことにより、同日から昭和四五年九月二一日まで休業していたのであるが、翌二二日から営業を再開し、従前通り営業活動を続けていたところ、再び本件事故により休業を余儀なくされたものである。

ホテル三越の営業は、原告が一切とりしきつていたので原告が動けない状態では、もはや正常な業務を続けることができなかつたために休業したものであつて、休業の事由はそれ以外にない。

(2) 原告は本件受傷により、第一ないし五腰椎圧迫骨折になり脊柱の前屈、後屈は強度の疼痛のため全く不能、歩行能力も松葉杖でやつと可能の状態、長く立つていることも座つていることもできない状態となつた。なお、自賠責保険の関係では、昭和四六年七月一五日に症状固定となつているが、この時期においては未だ症状の軽快増悪をくり返す可能性があつたにもかかわらず、被告の強い希望で症状固定としたものである。

また、右障害により、昭和四七年一一月一七日、身体障害者三級に認定され、さらに昭和四八年七月二四日、二級に認定されて今日に至つている。

よつて、右症状は自賠責後遺症の六級に該当すると思われるので、その労働能力喪失率は六七%が相当である。

月間収入一〇万円とした場合金五二二万二、六九六円

〈1〉 昭46.2.17~7.15

10万円×5か月=50万円

〈2〉 昭46.7.16~7年(63歳の女子の就労可能年数)後遺症等級6級の労働能力喪失率67%

7年の新ホフマン係数5.874

10万円×12×5.874×0.67=4,722,696円

なお、他の計算方法として別紙二参照

3  慰謝料

(1) 治療期間中の慰謝料 金二一万円

(2) 後遺症慰謝料(六級) 金二〇〇万円

4  損害の填補(自賠責損害金受領) 金二八一万七、五二七円

5  弁護士費用 金三〇万円

6  以上1ないし3および5の合計金額から4の金額を差引くと金五二七万〇、四七六円となる。

(五) よつて、第四〇号被告は原告に対し、金五二七万〇、四七六円および内金四九七万〇、四七六円に対する本件第二事故の翌日である昭和四六年二月一八日から、内金三〇万円に対する本訴状送達の翌日から支払ずみまで年五分の割合による金員の支払を求める。

第三被告らの答弁

一  第二四号被告

(一)  請求原因一・(一)のうち、原告が主張する通り原告がバスに乗つた事(但し三条市内から下田方向に進行して行くバスである。)当時バスの運転手が唐沢光善であつた事、発車直後原告が転倒し後頭部をバス床部に打つた事は認めるがその余は争う。

1 原告と被告越後交通株式会社の事故は被告路線バス東三条駅午後八時五〇分大崎行のバスに原告が東三条駅の次の停留所である営業所前停留所で乗車し、その発車の際発生したものである。

2 右営業所前停留所で原告は通常の下駄より少し高い小足駄をはき紙袋と布袋各一を持つていたものである。

右停留所での乗降客は原告一人で車内の乗客は一〇人位で混んでは居らず原告は乗車して中央の乗車口から乗りその向い辺りのシートの所に行き右荷物をシートの上に置き腰をかける状態の時に車掌が発車の合図をし運転手がこれに因り発車した際、その動揺に因つて原告が転倒したものである。客扱から発車迄の時間は二〇乃至三〇秒あつたものである。原告が移動して居る時発車したものではない。又転倒するに際しては一旦尻をつくなり手をつくなりしてから後頭部を打つ筈でそれほど強く打つたものとは考へられない。

3 原告転倒後直ちに停車し後頭部を冷し医者に行くようすすめ草野は始め行かなくても良いと言つていたのであるが運転手等の再三のすすめで山田医院で診て貰うようになつたものである。

(二)  同一・(二)のうち、被告が本件バスの運行供用者である事は認めるがその余は争う。

(三)1  同一・(三)のうち、原告が事故当日高橋医院に運ばれ脳震盪症の病名のもとに治療を受け翌一七日以降も通院治療を受け済生会三条病院に入院した事は認めるが、その余は争う。

2  第一事故の傷害は心因性に基くもので全損害を否定或は大幅に減額すべきである。

(1) 原告は、前記事故により当日高橋医師より、脳震盪症に因り約一〇日間の安静加療を要すとの診断及治療を受け、その後何のような治療を受けたか不明であるが同月二四日三条病院初診、同月二六日から翌一二月八日迄(一三日)右病院に入院し、右退院後の治療状態は不明であるが同月(一二月)一五日から同月二七日迄(一三日)右病院に入院、その後昭和四四年一二月二八日から昭和四五年一二月二一日迄右病院に通院この間一月一〇回、二月一〇回、三月一〇回、四月一二回、五月一〇回、六月一二回、七月八回、八月七回、九月五回、一〇月五回、一一月七回、一二月五回治療した。

(2) そして昭和四四年一二月一五日には新潟市へ出かけたり、退院後も営業のため、あちこち出歩いて居り、又何時からかは明記してないが昭和四五年七月二八日付診断書には症状固定の記載があるから少くともその頃は症状が固定して居り日常生活は普通に出来る状態であつたののである。又昭和四五年一二月二二日以降第二事故が発生した昭和四六年二月一七日迄は何等治療を受けていないのである。しかも昭和四五年八月二三日には自転車に乗つて転んだ旨のカルテの記載もある位で、充分活動出来る状態であり、更に昭和四五年九月二二日は旅館営業を再開し順調な成績をあげて居たものである。

(3) 事故の模様が前記第一項記載の通り軽度のものである事、高橋医師の診断が約一〇日安静加療を要すると言う程度のものである事、並びに右治療の状況及び山田医師が最初診した時も頭痛頂部緊張痛を訴えて居たが当時の検査では意識正常、瞳孔に病的な症状はなく、病的反射はなく、軽反射その他はほとんど正常、血圧は一二〇の六〇で要するに他覚的には何等の異状がない事、昭和四五年二月二日新潟大学精神科沢教授の診断の際も家業がうまくいかないと言う事でノイローゼの症状が悪循環して居ると言うものであつた事を綜合すると結局原告の第一事故による傷害は心因性が非常に大きくこの様な場合損害を全部否定するか仮に認めるとしても大幅に減額すべきである。

3  第一事故の傷害は第二事故発生前に治癒して居たもので原告の現在の症状と第一事故とは何等関係がない。

前記の通り第一事故が軽度である事、2・(1)記載の様な治療の状況で特に(3)記載の通り心因性が極めて大きい事、原告が入院中或は退院後営業のため出歩き遅くとも昭和四五年七月二八日には症状固定の診断を受けて居る事、同年八月には原告のような老齢でありながら自転車にも乗れ、翌九月には営業も再開して居る事、昭和四五年一二月二二日以降第二事故迄治療を受けて居ない事、第二事故に因る自賠責保険後遺症請求の診断書の傷病名が第一事故と全く関係のない第3・4・5腰椎圧迫骨折のみである事等を綜合すれば、第一事故に因る傷害は第二事故迄に既に完治していた事が明である。仮に第二事故当時多少の頭痛等が残つて居たとしてもこれは心因性に基くもので、第二事故後の症状に影響があると迄は言えない程度のものである。

(四)  同一・(四)の事実のうち、原告が旅館業を営んでいることは認める。その余は争う。

原告は三年間の休業損害を請求する。

然し原告は前記の通り昭和四五年九月二二日旅館を再開し営業は順調であつた。そして何時から休業したのか明かでないが原告の休業は労働争議等で経営が出来なくなつたもので本件事故のためではない。

そして、旅館経営について原告の寄与分はその何分の一かであり、且つ、欠損続きで納税もして居らないのであるから原告が主張する様な収入はないものである。

更に、原告は前記の通り退院直後から出歩ける状態であり活動もして居たものであるから原告が全く稼働出来なかつたとする原告の請求は失当である。

二  第四〇号被告

(一)1  請求原因二・(一)および(二)ならびに(三)・1の事実は認める。

2(1)  原告は第二事故に先立つ昭和四四年一一月一六日越後交通バス車内における転倒事故(第一事故)で頭部に外傷を負い、その治療を済生会三条病院でうけていたのである。本件第二事故当時、第一事故による頭部外傷の後遺症、頸筋緊張性後頭頂部症候群は改善しつつあつたものの未だ治癒に至つていなかつた。したがつて、頭部症状の全部が第二事故に原因するものではない。

(2) つぎに、第九・第一二胸椎圧迫骨折、第一ないし第五腰椎圧迫骨折とその後遺症であるが、これもその全部について第二事故に起因するとはいえない。

すなわち、医師の診断によつて認められた傷害を日時を追つて記すと

イ 昭和四五年五月二八日、済生会三条病院で骨粗鬆症と診断される。

ロ 同年一一月九日、同病院で腰痛を訴えている。

ハ 同年一二月一七日、同病院で第四腰椎圧迫骨折の診断を受けた。

ニ 同四六年二月一七日、第二事故発生。同月一八日、同病院で第三ないし第五腰椎の圧迫骨折、骨粗鬆症が認められた。

ホ 同四七年八月二四日、銅治医院で一二胸椎および第三腰椎の圧迫骨折の診断を受ける。

ヘ 同四七年九月八日、済生会三条病院で第一ないし第五腰椎圧迫骨折、骨粗鬆症の診断ができる。

ト 同四七年一〇月一九日、県立ガンセンター新潟病院で、第一ないし第五腰椎および第九胸椎の圧迫骨折、骨粗鬆症の診断がでる。

以上の次第であり、この経過をみただけでも、原告主張の障害のほとんどが、第二事故以前の障害や第二事故からかなりの日時を経過して生じた障害であることが明白である。

第二事故直後における医師の所見は、第三ないし第五腰椎圧迫骨折のみで、第一・第二腰椎の圧迫骨折は、症状が固定した昭和四六年七月一五日以降に生じたものである。加えて原告には、第二事故以前から骨粗鬆症の疾病があつて、一寸したことでも骨折しやすい状態にあつて、原告は不詳であるが、県立ガンセンター新潟病院で治療をうけ、同病院医師の指示でコルセツトを着用していた。

したがつて第一・第二腰椎圧迫骨折と第二事故との間には因果関係がなく、また脊椎の運動制限および前後屈時の痛みも、第二事故と関係のない骨粗鬆症や第二事故前に発生していた疾病の関与するところが大である。

(3) 本件における特異点であるが、第二事故と原告の骨折との因果関係の存否を誤りなく判断するには、骨粗鬆症なるものの正確な理解が不可欠といえよう。原告代理人が挙示した南山堂医学大辞典は、簡単な一般的注釈に止まつているし、山田道雄証言も専門外のこととて詳細ではない。

そこで、公刊されている専門書(片山良亮著、中外医学社発行の片山整形外科学2)によれば、骨粗鬆症は、骨梁の減少、ハヴアース管の拡大、骨髄腔の広くなつた骨の病的状態の総合的名称であり、最も犯されやすいのが脊柱で、脊柱に骨粗鬆をもつものは、たいてい腰部・胸椎部ときには頸部の疼痛を訴え、また脊椎は多発性に圧迫骨折をおこし、二次的に身長の減退をみ、円脊となる等とある。圧迫骨折箇所が、第二事故後かなりの日時を経てから順次増えていることや痛みが移つていること等は、正に骨粗鬆症そのものに由来するのであつて、第二事故と無関係であることが明白である。

(4) 右の事実関係にてらせば、原告主張の損害は、積極・消極損害を問わず被告酒井の責に帰すべきものではない。仮りにそうでないとしても、まず第二事故と因果関係のない損害額は除外されねばならない。その場合、各損害項目のなかから、除外すべきものを区別することが不可能であるならば、損害発生につきその原因をなすとみるべき、(イ)骨粗鬆症等原告自身にあつた既存原因、(ロ)第一事故、(ハ)第二事故のそれぞれについて寄与度を勘案し、各原因者の責任の範囲を割合的に算定して決定するのが負担の公平の見地から妥当といえよう。

(二)  同二・(三)・2の事実は争う。

(三)  同二・(四)について

1(1) 治療費 認める。

(2) 入院諸雑費 日数四一日は認めるも額は争う。

(3) 通院費 争う。

(4) 看護料 横田マツ分は金一万二、〇〇〇円、兵頭トシ分は金一万九、〇〇〇円であることは認める。

2 休業損害および逸失利益

争う。

3 慰謝料

争う。

4 損害の填補

認める。

5 弁護士費用

争う。

第四第二四号被告の抗弁

一  過失相殺

かりに被告に損害賠償の義務があるとしても本件事故は前記の通りで定期路線バスの乗客に於てはバスの発車の際の動揺に注意し所持する荷物等に応じ足許に注意し速に座席につき或はつり革、椅子等に掴まる等して事故を未然に防止する義務があるのに原告は乗車してから発車迄ある程度の時間があり而も車掌が発車の合図もしたのに慢然と小足駄をはき、両手に荷物を持つて立つて居て転倒したもので原告にも過失があり損害額の算定には過失相殺をすべきものである。

二  弁済の抗弁

被告は本件損害金として原告に対し入院治療費一五万三、二九九円の外損害金として二〇万円合計三五万三、二九九円の支払をして居り、原告の請求から減額すべきである(原告は入院治療費を請求しては居ないが本件は過失相殺をすべき前記の通りで、右支払済の入院治療費の内過失相殺分は過払いになりこの分は他の弁済に充当さる可きである)。

第五抗弁に対する原告の答弁

一  過失相殺について

争う。

被告越後交通は、乗客に対し、座席に正常の姿勢で座ることや、進行中つり皮などにつかまつていること以上に、更に車掌が発車の合図をした場合、速やかに座席につくか、つり皮につかまることを要求しているようである。しかも、驚くべきことには、小足駄(原告は普通の下駄であつた)をはき、両手に荷物をもつている老人に対してもかかる行動を求めているようである。被告越後交通は旅客運送業務に従事する当然の義務として、旅客を安全に運送する義務を負つていることは前述のとおりである。しかるに、かかる被告越後交通の責任領域に属する第一義務を怠つて、あたかも乗客も安全輸送義務の一部を負担しなければならないかのように主張することは、まつたく倒錯した主張といわなければならない。被告越後交通の主張にしたがうならば、乗客は右会社のバスに乗車するときは、車掌が発車の合図をしたならば、直ちにつり皮につかまるか空いている座席を捜してパツと座らなければ、被告越後交通に義務違反があつて乗客が怪我した場合でも、損害額を減額されそうである。こんなことでは乗容は安心してバスを利用できるものではない。

二  弁済について

入院治療費は不知。損害金二〇万円の弁済は認める。

第五証拠〔略〕

理由

第一第二四号事件について

一  第一事故の発生

成立に争いのない甲第三号証、第八号証および証人唐沢光善、同玉木隆二郞の各証言ならびに原告本人尋問の結果(第一・二回)を総合すれば、つぎの事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

昭和四四年一一月一六日午後八時五五分ころ、三条市北中八三番地付近路上において、東三条駅方向から下田方向に進行してきた大崎行の訴外唐沢光善運転の被告会社バスが営業所前に停車したところ、原告が乗車した(以上のうち、日時、被告会社バス運転手名、原告が右バスに乗車したことは当事者間に争いがない。)。

当時、原告は、小足駄をはき、乗車する際紙袋と布袋を両手に持つていたが、バス中央口から乗車し、乗車した正面右側座席に他の乗客が三名くらい座つていたので、それらの人の運転士側の空席へ座ろうと進んだときバスが発車したので、はずみで転倒し、後頭部を床に打ちつけた。右訴外唐沢は、車掌訴外小林のり子の合図で発進した直後原告の転倒により車掌のストツプの合図があつたので、直ちに停車した。

二  本件自動車(バス)の保有関係

請求原因一・(二)1の事実は、当事者間に争いがない。

三  第一事故について、訴外唐沢・同小林および原告の過失の有無・程度

バスの運転手および車掌は、乗客に対し座席に着席するかまたは吊革等につかまつたのを確認するか少くとも乗客が右態勢をとりうる時間的余裕をおいてからバスを発車させる業務上の注意義務がある。特に本件においては、原告が老齢で(当時六二歳)、しかも両手に荷物をもち、小足駄をはいて乗車してきたのであるから、右注意義務は一そう強調されるべきである。

しかるに、本件バスの運転手唐沢光善、車掌小林のり子は右義務を怠り、原告の着席ないし吊革・手すり等につかまつたことを確認しないでバスを発進させた過失があり、これが本件事故に寄与している。

他方、バスの乗客としては、多数の乗客を安全迅速に輸送するバスを利用する以上、乗車に際しては、できるだけすみやかに着席するか、吊革・手すり等につかまる等して、バスの揺れに伴う危険を未然に防止する義務がある。したがつて、本件の原告のように両手に荷物をもつている場合は、片手に持ちかえるか、一ケを床上等に置くなどの方法を講ずる必要がある。ところが、原告は、前認定のとおり、本件バスの乗車に際し、両手に荷物を持つて乗車し、乗車後吊革などにつかまらずにたまたま乗車口付近の座席が空いていなかつたため、空席の方へ向かつたとき、本件事故が発生したもので、原告には、右義務に反した過失があり、右過失が本件事故に寄与している。

そこで、賠償額算定にあたりこれを斟酌すべきであるが、訴外唐沢、同小林と原告との過失割合は、訴外唐沢、同小林七対原告三とするのを相当と認める。

四  損害

(一)  休業損害 〇円

1 成立に争いのない甲第二号証、第三号証、第四号証の一・二、第五号証の一ないし一三および原告本人尋問の結果(第一・二回)によれば、請求原因一・(三)・1・(1)・(2)の事実および原告の傷病名は、頭部打撲後遺症、頸筋緊張後頭部頂部症候群で、自覚症状は頭痛、耳なり、頸痛がひどく、昭和四五年一二月三一日に症状固定となつた事実が認められ、これに反する証拠はない。

2 成立に争いのない甲第七号証および原告本人尋問の結果(第一・二回)によれば、請求原因一・(四)・1・(1)・イ・ロの事実および原告が昭和四二年当時株式会社ホテル三越から役員報酬として月額金一〇万円をうけていたことを認めることができ、これに反する証拠はない。

右事実によれば、昭和四二年当時役員報酬をうけてはいたが、右はいわゆる労働の対価としての賃金ではない。

ところで、本件事故当時原告が右報酬をうけていたか否かはともかく、いつたん確定した(商法第二六九条参照。)報酬請求権は、当該取締役の同意のない限り剥奪変更はできない。したがつて、かりに本件事故当時原告がその主張する報酬請求権を有していたとしても、本件事故による入院・通院によつて休業したのは認められるが、これによつて、原告のホテル三越に対する報酬請求権にはなんらの消長をきたすものではない。

(二)  後遺症による逸失利益 〇円

1 前掲山田証言によれば、原告の前記症状は原告の自覚症状のみから判断されるもので、原告の精神的因子も含まれていることが認められる。

また、原告本人尋問の結果(第一回)および前掲玉木証言によれば、原告は、昭和四四年一二月一五日には新潟市へ出かけ、退院後は営業のため出歩き、さらに前掲山田証言によれば、昭和四五年八月二三日には自転車に乗つて転んでいることが認められる。

以上の事実によれば、原告の前記症状は、原告の心因的要素も多分に含まれているとみるのが相当である。したがつて、以下の損害額の算定にあたり、右心因的要素を加味して判断する。

そこで、右原告の症状を総合的客観的にみれば、労働能力喪失率一四級九号に該当すると認めるのが相当である。

2 ところで、原告の代表する株式会社ホテル三越は前認定のとおり、本件事故の前年に二回も従業員ストライキが行なわれていること、また、原告本人尋問の結果(第一回)によれば、右ストライキ以後右三越の帳簿類はなんら作成されていないことが認められる。しかし、小規模とはいえ、株式会社である以上関係帳簿がなんら作成されないというのは常識ではとうてい考えられず、このことは原告の損害の立証につき不利益に作用してもやむをえないであろう。すなわち、本件事故の昭和四四年度の役員報酬については、原告本人尋問の結果(第一・二回)はにわかに措信できず、他にこれを認めるに足る証拠はない。また、労働能力喪失による逸失利益の算定の基礎に賃金センサスを利用するのも妥当でない。

3 ただ前記1認定のとおり、原告が本件事故により前記のような労働能力低下を余儀なくされたのであるから、つぎの慰謝料の算定においてこれを考慮する。

(三)  看護料 金三万七、五〇〇円

前記(一)認定のとおり、原告は二五日間入院し、原告本人尋問の結果(第一回)および弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める甲第六号証によれば、右期間付添看護を要し、かつ、看護料は一日金一、五〇〇円であることが認められる。

(四)  入院諸雑費 金七、五〇〇円

右入院中の諸雑費は、一日金三〇〇円であること公知の事実である。

(五)  通院交通費 〇円

弁論の全趣旨によれば、原告が通院にタクシーを利用したことは認められるけれども、具体的にいくら要したかを認めるに足る証拠はない。しかし、この点も後記慰謝料算定に際し考慮する。

(六)  慰謝料 金六〇万円

原告の前記入通院期間、受傷の程度、過失割合等諸般の事情を考慮すれば、被告会社の原告に対し慰謝すべき額は金六〇万円を相当と認める。

以上(三)・(四)・(六)の合計は金六四万五、〇〇〇円となる。

(七)  損害の填補

抗弁二のうち、被告が入院治療費のほか金二〇万円を弁済したことは当事者間に争いがない(また、被告会社が入院治療費を支出したことは証人相田光男の証言によつてこれを認めることができる。ただ、前認定のとおり、原告の過失割合を斟酌して損害を算定したが、治療費を含めた総額で算定はしていない。しかし、当裁判所は、本件について治療費について過失相殺すべきでないと考えるので、治療費の額についての認定はしない。)これを右金員から差引くと金四四万五、〇〇〇円となる。

(八)  弁護士費用 金五万円

原告が本件訴訟進行を原告代理人らに委任したことは記録上明らかであり、認容額、被告の抗争の程度、証拠収集の難易等を考慮すると、原告が被告会社に対し請求しうる弁護士費用は、金五万円を相当と認める。

五  結局、原告の第二四号被告に対する請求は金四九万五、〇〇〇円および内金四四万五、〇〇〇円に対し不法行為の翌日である昭和四四年一一月一七日から支払ずみまで年五分の割合による支払を求める部分は理由があるが、その余は失当である。

第二第四〇号事件について

一  第二事故の発生・第四〇号被告の過失・保有関係

請求原因二・(一)・(二)の事実は当事者間に争いがない。

二  原告の傷病名と治療経過および因果関係

(一)  請求原因二・(三)・1の事実は当事者間に争いがない。

(二)  成立に争いのない甲第一七号証、第二五号証、第二六号証の一ないし八、第二七号証ないし第二九号証、丙第一号証、原告本人尋問の結果(第一回)により真正に成立したものと認める甲第一八号証および前掲山田証言ならびに原告本人尋問の結果(第一・二回)を総合すれば、原告の請求原因二・(三)・2・(1)の事実を認めることができ、これに反する証拠はない。

(三)  因果関係

前記事実によれば、第二事故と前記原告の傷害との因果関係を全く否定することはできない。しかし、原告は、第一認定のとおりの第一事故による頭部の傷害が残つていたこと、前認定のとおり、第二事故当時から原告が骨粗鬆症を患つていたこと、また、原告の脊柱の疼痛、歩行能力の低下等は、原告の済生会三条病院における症状固定後の昭和四七年七月一五日以後顕著にみられること等の事実を考慮すると、前記傷害の結果がすべて第二事故に起因するとも断定できない。多分に骨粗鬆症の影響があると推定せざるをえない。そこで、右各事実を総合して慎重に考察すると、原告の右傷害の結果に対する第二事故の寄与率は、七〇パーセントと認めるのが相当である。

三  損害

(一)  積極損害 金一九万九、一六一円

1 治療費 金二四万一、二一七円

請求原因二・(四)・1・(1)の事実は当事者間に争いがない。

2 入院諸雑費 金一万二、三〇〇円

原告の本件受傷による入院期間が四一日であることは当事者間に争いがなく、入院諸雑費が一日につき、金三〇〇円であることは公知の事実である。

3 通院費 〇円

前掲甲第二六号証の二・三および弁論の全趣旨によれば、原告が通院した八七日間交通費を支出したことが認められる。しかし、具体的にいくら支出したかこれを認めるに足る証拠はない。ただ、この点は後記慰謝料の算定において考慮する。

4 看護料 金三万一、〇〇〇円

前掲甲第二六号証の一によれば、原告は入院中二二日間付添看護を要したことが認められる。そして兵頭トシ(弁論の全趣旨により原告主張の近藤トウは誤記と認める。)の分金一万九、〇〇〇円は当事者間に争いがなく、丙第二号証によれば、横田マツ分として金一万二、〇〇〇円を原告が支払つていることが認められる。

以上の1・2・4合計は金二八万四、五一七円であるが、前記寄与率を乗ずれば、金一九万九、一六一円(円以下切捨)となる。

(二)  休業損害 〇円

本件事故は、第一事故の後約一年三ケ月後に発生している。

ところで、前記第一・四・(一)において述べたように役員報酬に基く休業損害の請求自体問題があるが、それはともかく、本件第二事故当時原告がホテル三越から月額金一〇万円の役員報酬をえていたと認めるに足る証拠はない。(かえつて、原告本人尋問の結果(第一・二回)によれば、前記第一事故後原告は特段の収入をえていないことがうかがわれる。)。

(三)  後遺症による逸失利益 〇円

原告の前記二認定の事実によれば、原告の労働能力の喪失率は、労働能力喪失率六級四号に該当するものと認める。

そして、ここでも第一・四・(二)において述べたと同様の理由により逸失利益を算定することはできないが、後記慰謝料の算定に十分これを斟酌する。

(四)  慰謝料 金三六七万五、〇〇〇円

原告の前記入通院期間、受傷の程度、後遺症の程度、前記第二事故の本件受傷に対する寄与率等諸般の事情を考慮すれば、被告が原告に対し慰謝料として支払うべき金額は、金三六七万五、〇〇〇円を相当と認める(すなわち、入通院による慰謝料は金二五万円(通院費も加味する。)、後遺症による慰謝料は通常の基準では金二五〇万円であるが、前記のとおり逸失利益が算定不能であるので、倍額の金五〇〇万円とし、右合計金五二五万円に対し前記寄与率を乗じた金額である。)。

以上(一)および(四)の合計は、金三八七万四、一六一円となる。

(五)  損害の填補

原告が自賠責保険から金二八一万七、五二七円受領していることは当事者間に争いがない。

そこでこれを前記金額から差引くと金一〇五万六、六三四円となる。

(六)  弁護士費用 金一〇万円

原告が本件訴訟遂行を原告代理人らに委任したことは記録上明らかであり、本件認容額、被告の抗争の程度、証拠収集の難易等諸般の事情を考慮すると原告が被告に対し請求しうる弁護士費用は、金一〇万円を相当と認める。

四  結局、原告の第四〇号被告に対する請求は、金一一五万六、六三四円および内金一〇五万六、六三四円に対し、不法行為の翌日である昭和四六年二月一八日から、内金一〇万円に対し訴状送達の翌日である昭和四九年六月三〇日から支払ずみまで年五分の割合による支払を求める部分は理由がある。

第三結論

以上認定のとおり、原告の本件各請求は、各被告に対し、主文掲記の限度で理由があるので、これを認容し、各被告に対するその余の請求は理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条、第九二条、仮執行宣言につき同法第一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 戸田初雄)

別紙(一)

賃金センサンスを使用した場合 金2,396,204円

〈1〉 昭和44.11.17~昭45.9.21(全損)

(イ) 昭和44年分

43,500×12+115,300=637,300

(昭44年賃金センサス旧中・新高卒以上を適用した場合の年間収入)

637,300÷365×45日分=78,570円

(ロ) 昭和45年分

514,000×12+136,900=753,700円

(昭45年賃金センサス旧中・新高卒以上を適用した場合の年間収入)

753,700÷365×294日分=607,110円

(イ)+(ロ)×0.952(一年目の新ホフマン係数)=652,767円

〈2〉 昭45.9.22~6年間

(イ) 昭和45年分

753,700÷365×71日分×0.35×0.952=48,850円

(ロ) 昭和46年分

52,600×12+153,500=784,700円

(昭46年賃金センサス旧中・新高卒以上を適用した場合の年間収入)

784,700×0.35×0.909=249,652円

(二年目の新ホフマン係数0.909(1.861-0.952)

(ハ) 昭和47年分(昭48年分を1.1で除したもの)

73,400×12÷217,300=1,098,100円(昭48年分)

1,098,100÷1.1=998,272円

998,272×0.35×0.870=303,973円

(三年目の新ホフマン係数0.870(2.731-1.861)

(ニ) 昭48年分

1,098,100×0.35×0.829=318,613円

(四年目の新ホフマン係数0.829(3.564-2.731)

(ホ) 昭49年分(昭49年の賃金上昇率は少くとも30%をこえているので、昭48年の30%増とする)

1,098,100×1.3×0.35×0.800=399,708円

(五年目の新ホフマン係数0.800(4.364-3.564)

(ヘ) 昭50年分(昭50年の賃金上昇率は少くとも10%をこえているので、昭49年の10%増とする)

1,098,100×1.3×1.1×0.35×0.769=422,641円

(六年目の新ホフマン係数0.769(5.133-4.364)

(イ)+(ロ)+(ハ)+(ニ)+(ホ)+(ヘ) 1,743,437

別紙(二)

賃金センサスを使用した場合

〈1〉 昭46.2.17~7.15

784,700÷12×5=326,958円

〈2〉 昭46.7.16~7年度

(イ) 昭46年分(一年目の新ホフマン係数0.952)

784,700÷12×5.5×0.67×0.952=229,401円

(ロ) 昭47年分(二年目の新ホフマン係数0.909)

998,272×0.67×0.952=636,737円

(ハ) 昭48年分(三年目の新ホフマン係数0.870)

1,098,100×0.67×0.870=640,082円

(ニ) 昭49年分(四年目の新ホフマン係数0.829)

1,098,100×1.3×0.67×0.829=792,892円

(ホ) 昭50年から3年間分(七年間の係数-四年間の係数2.310)

1,098,100×1.3×1.1×0.67×2.310=2,430,326

(イ)+(ロ)+(ハ)+(ニ)+(ホ) 4,729,438円

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